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チェッコリ玉入れの発祥と起源!いつから始まった?

チェッコリ玉入れの発祥と起源!いつから始まった?

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チェッコリ玉入れとは?

「チェッコリ玉入れ」とは、小学校で催される運動会競技「玉入れ」に、ガーナ民謡を日本風にアレンジした曲でダンスしながら、間奏時にだけ玉入れをする競技のことです。

小学校低学年の児童が、歌詞の「チェッチェッコリ、チェッコリサ~」に合わせて腰を振って踊る姿はとても可愛らしいですね。

目次

チェッコリ玉入れはいつから始まった?

「チェッコリ玉入れ」が小学校の運動会競技として登場し始めたのは、一般的に2000年~2005年頃と言われています。

しかし、東京では小学校の一部で1994年~1995年には運動会競技として取り入れていたとも言われており、その発祥年代は定かではありません。

チェッコリ玉入れの発祥地はどこ?

「チェッコリ玉入れ」の発祥地で有力なのは福岡と埼玉とされています。

特に福岡は、2014年のデータによると福岡市の小学校145校中、90校で「チェッコリ玉入れ」が運動会競技として行われていました。

チェッコリ玉入れの起源とは?

「チェッコリ玉入れ」の起源は二つあるとされています。

一つは、1957年に世界の4か所で(イギリス・スイス・カナダ・フィリピン)開催されたガールスカウト大会です。

日本からも9名が参加したフィリピンの開催地で、「チェッコリダンス」が披露され、一緒に踊り、そのまま日本に「こんなダンスがある」と持ち帰ったことが由来とされています。

もう一つは、1964~1966年頃、東京の多摩にある米軍基地で開催されたキャンプです。

当時中学生だった福岡のガールスカウトが参加し、そこで披露された「チェッコリダンス」を福岡に持ち帰ったことが由来とされています。

どちらが本当の起源としても、ガールスカウトのメンバーによって日本にもたらされたと言えます。

チェッコリ玉入れが流行った理由

相手よりも早くたくさんの玉を入れるだけの「玉入れ」が、印象的な曲と児童たちの可愛いダンスが見られる「チェッコリ玉入れ」に進化した話題は、口コミによって広まり、メディアに取り上げられたことによって流行り出します。

特に、2000年代前半のSMAP×SMAPで取り上げられたことも大きな影響を与えたと言えます。

木村拓哉さん、稲垣吾郎さん、香取慎吾さんでチェッコリ体操を踊った「ザ・チェッコリーズ」というコーナーは記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。

この他、2003年にサッポロビールから発売された「まる福茶」のCMでも、若い女性二人が「チェッチェッコリ」と歌いながらダンスをする姿もありました。

https://twitter.com/kuro_hana_usagi/status/819955903059197953?s=20

チェッコリ玉入れがそもそも採用された理由とは?

そもそも、普通の「玉入れ」に「チェッコリダンス」が取り入れられた理由。

それは競技開始時のピストルの音が聞こえづらいことが原因だったと言われています。

団体戦で競技人数が多かったり、応援の声が大きかったり、観客の掛け声があったり、アナウンスの音声があったりしますので、ピストルの音を児童全員が聞き取るのは難しかったのですね。

「チェッコリダンス」を取り入れたことにより、競技開始の合図が児童全員聞き取れたことで、ピストルの音が聞こえづらい問題は解決したのです。

チェッコリ玉入れのルール

「チェッコリ玉入れ」の大まかなルールは曲が流れ始め歌詞のパートでダンスし、間奏の間玉を入れる流れになります。

ルールの細かい流れを見ていきましょう。

【1】かごを中心に描いた線の外に児童が並ぶチェッチェッコリ

【2】曲が流れる

【3】歌詞のパートに合わせてダンスチェッコリダンス

【4】歌詞が途切れた間奏パートで線の内側に入り玉をかごに投げ入れる

【5】歌詞パートで線の外側に戻りダンス

【6】【4】と【5】を2~3回繰り返す

【7】音楽が止まった時点で、かごに入った玉の数が多いチームの勝ち

以上が基本ルールとなります。

参加人数は10人~120人程度まで。

最低2チームは必要な競技です。

チェッコリ玉入れの曲

「チェッコリ玉入れ」に使われる曲名は、「チェッチェッコリ」と言います。

日本で親しまれている「チェッチェッコリ」の歌詞を見ていきましょう。

チェッチェッコリ
チェッコリサ
リサンサマンガン(二酸化マンガン)
サンサマンガン(酸化マンガン)
ホンマンチェッチェッ

チェッコリ玉入れ用に編曲されたCDがある

通常の「チェッチェッコリ」でも競技に使っている小学校はありますが、「チェッコリ玉入れ」用に編集され、より競技がしやすくなっているCDが発売されています。

「ヒットヒットマーチ2014」というCDで、チェッコリ玉入れ用に編集された「チェッチェッコリ」です。

大手通販サイトで購入可能です。

チェッチェッコリの原曲のルーツはアフリカ

日本で親しまれる「チェッチェッコリ」には原曲があります。

原曲名は「チェチェコリ(Kye Kye Kule)」、アフリカにあるガーナの民謡でした。

原曲の「チェチェコリ(Kye Kye Kule)」の歌詞も見ていきましょう。

チェチェクレ (Kye Kye Kule)

チェチェ コフィンサ (Kye Kye Kofinsa) 

コフィンサ ランガ (Kofinsa Langa)

カカ シランガ (Kaka Shilanga) 

クム アデンデ (Kum Adende)

クム アデンデ ヘイ! (Kum Adende Hey!)

原曲チェチェコリはエコーソングだった

原曲「チェチェコリ」を歌うときは日本の童謡「森のくまさん」のようにエコー方式で歌われます。

大勢で円を作り、その真ん中にリーダー的存在の子供が立ちます。

リーダー的存在の子供が「チェチェクレ」と歌い出すと、円を描く周りの子供が「チェチェクレ」と返す。

その繰り返しになります。

原曲チェチェコリの意味とは?

原曲「チェチェコリ」、この言葉の意味を和訳すると「せっせっせーのよいよいよい」と同じ意味だそうです。

アフリカのガーナでは子供の遊び歌だったのですね。

原曲チェチェコリはアメリカで変わった?

原曲「チェチェコリ」について触れてきましたが、アフリカから伝わった過程で、各国独自の解釈と文化が入り混じっています。

原曲の歌詞の最後に「Hey!」が使われているのはアメリカに伝わったときに付け加わったという話もあります。

この他、そもそもアフリカで歌われる際、エコーソングであったかも正確な情報ではない可能性もあるそうです。

日本で親しまれる「チェッチェッコリ」の歌詞も、覚えやすい科学物質の名称がついているように、皆、独自の解釈と文化で楽しんでいるのです。

チェッコリ玉入れの踊り方

「チェコリ玉入れ」の踊り方は、小学校によっては腰だけを振る振り付けであったり、腰を振りながら手の動きを取り入れたりする振り付けもあります。

手の振り付けがある場合、腰を左右に揺らしながら初めは頭、次に肩、腰、膝と順に手を当てて踊ります。

原曲チェチェコリの踊り方

原曲「チェチェコリ」では基本、腰は振らず、4拍子で4回ずつリズミカルに両手で頭、肩、腰、膝の順にポンポンとたたいていきます。

歌詞「クム アデンデ」の時、両手で地面をたたき、最後の「クム アデンデ ヘイ!」で両手を上に突き上げてジャンプします。

ダンシング玉入れとは

「ダンシング玉入れ」とは、玉入れ競技の途中で曲が流れ出したらダンスをし、曲が止まると玉入れを再開するのを繰り返す運動会競技です。

また、「ダンシング玉入れ」ではダンスを終える合図が入ることもあります。

合図にはホイッスルが使われることが多いようです。

ダンスに使われる曲もダンサブルでリズムに乗って楽しめる選曲が一般的です。

そして、「ダンシング玉入れ」は小学校や幼稚園の運動会だけではなく、大人のレクリエーションにも多く取り入れられていることも特徴的です。 

ダンシング玉入れはいつから始まった?

「ダンシング玉入れ」の情報がネット上に出てきたのは2006年頃からと言われています。

「チェッコリ玉入れ」よりも発祥が後の印象がありますね。

ダンシング玉入れが流行った理由

2014年に開催された宝塚歌劇100周年記念大運動会が、「ダンシング玉入れ」の知名度を一気に上げたと言えるのではないでしょうか。

宝塚歌劇100周年記念大運動会では、ミュージカルやショーを担当した振付師によって「ダンシング玉入れ」の振り付けが行われ、ダンスの出来栄えも競技の加点対象となっていました。

組対抗戦だったので、とても見栄えが良く、宝塚ファンを魅了した競技として話題にもなりました。

ダンシング玉入れのルール

「ダンシング玉入れ」の大まかなルールは、競技開始の合図が出たら玉入れをはじめ、曲が流れたら玉入れを止めてダンスをし、曲が終わったらまた玉入れを始めるの繰り返しです。

「ダンシング玉入れ」の詳細なルールを見ていきましょう。

【1】かごを中心に描いた線の外側に並ぶ

【2】ピストルまたはホイッスルの合図、線の内側に入って玉入れ競技が開始される

【3】曲が流れる

【4】線の外側に並んで曲に合わせてダンスする

【5】曲が途中で途切れると(ピストルまたはホイッスルで合図)、線の内側に入って玉入れ競技が再開される

【6】【3】~【5】を2~3回繰り返す

【7】制限時間内に一番多くの玉をかごに入れたチームの勝利

以上が基本ルールとなります。

参加人数は10人~120人程度まで。

最低2チームは必要な競技です。

ダンシング玉入れの人気曲

「ダンシング玉入れ」に使われる曲はダンサブルでリズムに乗って楽しめる選曲が一般的です。

人気の選曲例をあげていきましょう。

  • USA(DA PUNP)
  • 恋するフォーチュンクッキー(AKB48)
  • ダンシング・ヒーロー(荻野目洋子)
  • スリラー(マイケル・ジャクソン)
  • おどるポンポコリン(B.B.クイーンズ)
  • ミッキーマウス・マーチ
  • ジェンカ

玉入れの正式ルール

これまで「チェッコリ玉入れ」と「ダンシング玉入れ」について解説してきましたが、そもそも玉入れの正式ルールはご存じでしょうか。

正式ルールを定めている団体名は「全日本玉入れ協会(All Japan Tamaire Association)」で通称「アジャタ(AJTA)」と言います。

小学校や幼稚園の運動会では数分で競技を終え個数を競いますが、正式なルールでは100個の玉をいかに早く入れられるか、時間を競うのだそうです。

ちなみに、競技に使うかごと玉にも細かい規定があります。

かごの直径は44cm×深さ44cmで竿の高さは4m12cm。

かなり高い位置になります。

重さ80gの玉を99個、250gのアンカーボール1個を使用。

本来の玉入れは時間を競う競技なのでアンカーボールが存在するのですね。

運動会では園児や児童の体格に合わせて線を引いていますが、こちらも正式な規定があります。

直径6mの円と決まっています。

競技人数も運動会とは規模が異なり、6名と少数精鋭で競技を行います。

運動会の玉入れも白熱して楽しいのですが、大人のリクリエーションでは本格的な正式ルールで取り組んでみるのも面白そうですね。

チェッコリ玉入れのまとめ

この記事では、小学校の運動会で定着が始まった「チェッコリ玉入れ」の起源、発祥について詳しく解説してきました。

リズミカルなガーナ民謡に合わせてダンスし、間奏の時だけ玉入れをする「チェッコリ玉入れ」が取り入れられた理由は、競技開始のピストルの音が聞こえづらいことが由来でした。

「チェッコリ玉入れ」が始まった年代は、一般的に2000年代前半とされてきましたが、一部の東京の小学校では1994年~1995年に始まっていたとされ、発祥年代は定かではありません。

発祥の地とされる有力地は、福岡と埼玉。特に、福岡市にある小学校145校のうち90校で「チェッコリ玉入れ」が行われています。

起源は、1957年のガールスカウト大会、または1964~1966年頃の東京は多摩で開催された「キャンプ」に参加したガールスカウトによってもたらされたとされています。

「チェッコリ玉入れ」が流行り出した大きな理由は、2000年代前半にメディアに取り上げられたことが大きかったと言えます。

この記事を読み終えて、運動会で注目を集める「チェッコリ玉入れ」により理解が深まり、更に楽しめるようになったのではないでしょうか。

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